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時々書く読書感想blog

感想:ノーマン・マクレイ『フォン・ノイマンの生涯』

フォン・ノイマンというと、長い間、現在のコンピューターを定義したとも言えるノイマンアーキテクチャの提唱者としてしか知らなかった。しばらく前、フリーマン・ダイソンの息子ジョージが書いた『チューリングの大聖堂』を読み、計算機分野に収まらないフォン・ノイマンの才能について特に核兵器開発への関わりという点で気付かされ、その生涯の全体像を知りたいと思っていた。本書が文庫化されたので早速読んでみたが、数学、量子力学、経済学、ゲーム理論、気象学、ロケット開発……と幅広い分野で業績をあげた才能の凄まじさに圧倒された。

ノイマン(フォンと付くが、元からの貴族階級ではなく、やり手のビジネスマンだった父親が爵位を購入)は数学の天才で、その側面から各分野に貢献したということだが、その前提として、各分野のトップクラスの研究者と直接やりとりして問題を一瞬で理解し、さらに自らの主張を理解させるコミュニケーション能力がとてつもない。数学×コミュニケーションのモンスターだった、という印象を受けた。

そのモンスターを産んだのは、本書が紙数の多くを割いて描いた、子供時代の家庭教育、 青少年期のギムナジウム教育の賜物か。原水爆開発に関わった科学者をはじめ様々な分野の才人を輩出した、第一次世界大戦前後のハンガリー(というかブダペスト中流ユダヤ人コミュニティの教育成果はすさまじい。(参考:Wikipediaハンガリー人宇宙人説 - Wikipedia」)著者は、同様なスタイルを実践して成果をあげたのが近代日本の中高等教育だというのだが、過去の日本人ノーベル物理学賞受賞者の人数の多さが、実際、その現れなのかもしれない。

ノイマンに対する批判をよく目にする軍事研究(核兵器開発やロケット(ICBM)開発との関わり)については、「ヒトラーのドイツ」と「スターリンソ連」という二つの独裁政権に挟まれ揉みくちゃにされたハンガリーという国の出身者が考えた「平和の守り方」というのは、現代日本の我々とはずいぶんと違ったものだったのだろう、という印象を受けた。特に共産主義については若い頃からまったく感情移入がなかったようで、その点で価値観が異なる人からすると受け入れがたい人物になると思う。日本については単なる障害物程度としか見ていなかったようなので、米国中枢に多少でも日本のことを知っている人がいてノイマンを黙らせてくれたのはまだ良かったようだ。