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感想:『ヴィリコニウム』M・ジョン・ハリスン 陰鬱な美意識で描かれたニュー・ヒロイック・ファンタジーの古典

星に届くに至った技術文明が衰退した後、中世的な状態に戻った世界を描く連作作品集です。

過去の遺産をかろうじて受け継ぐ都市・ヴィリコニウム、別名・パステル都市の王の下に人々が集まり、<褐色の大廃原>や<錆の砂漠>といった荒野から発掘される廃棄物から再生した武器を使って争っているというのが連作の背景となる世界観。著者のM・ジョン・ハリスンは、このヴィリコニウムの世界観に属する作品を1971年から1980年代にかけて書き続けました。2022年に日本で独自に出版されたこの作品集には、1971年に最初に書かれた短めの長編『パステル都市』と、他に4編の短編が収められています。

 

あらすじ(ネタばれ有り)

作品集の中心である『パステル都市』は、ヴィリコニウムに脅威と再生をもたらす<二人の女王の戦争>をめぐるヒーロー、テジウス・クロミス卿の旅を描く物語です。


自らを「剣士よりも詩人のほうが似つかわしい」というテジウス・クロミスは、ヴィリコニウムの先代王メスヴェンの下で王の騎士団であるメスヴェン団のリーダーを務めていましたが、王の死後、辺地の塔に隠棲しています。そのクロミスのもとに、メスヴェンの最初の妻の娘が率いる北方蛮族の軍勢がヴィリコニウムに迫るとの知らせが届きます。

ヴィリコニウムに赴いたクロミスは、メスヴェンの二人目の娘である今の女王と面会し、北の軍勢に立ちむかうため北部の戦場に向かいます。荒廃した世界を渡る戦場への旅の間、メスヴェン団のかつての仲間たちがクロミスに合流しますが、知将トリノアが北部に向かった後行方がわからなくなっていることを知ります。また、この旅の途中では、クロミスの前に機械仕掛けの<鳥>が現れ、真の脅威ゲテイト・ケモジットに対抗するため南方の賢者・鳥の王を訪れるよううながし、付きまとい始めます。

仲間とともに戦場に到達したクロミスと仲間たち。しかし、北部蛮族は発掘した飛空艇でヴィリコニウムの飛空艇艦隊に対抗するとともに、人の脳を抜く残忍な戦闘ロボットを先頭に立て都市の軍勢を打ち破ります。この戦闘ロボットがゲテイト・ケモジットであり、これに立ち向かう術のないクロミスは<鳥>に従い、鳥の王の下を訪れることにします。

鳥の王に面会したクロミスは、ゲテイト・ケモジットを打ち倒すためには、この戦闘ロボット群を統括する中枢電子頭脳を発見し停止する必要があることを知らされます。再び旅に赴き、中枢電子頭脳が隠された古代遺跡で北方蛮族に組した裏切り者トリノアを打ち破ったクロミスは、遺跡の奥から現れた、滅びたはずの先史技術文明の生き残り・復活者の集団と出会います。復活者の軍勢はヴィリコニウムに進軍して北方蛮族を打ち破り若き女王を助けて都市を蘇らせていきます。しかし、その道程にクロミスの姿はなく、彼はまた隠遁の日々に戻るのでした。

感想

あらすじで書いた通り基本的な物語の枠組みは、剣と魔法(ではなく先史技術文明の遺産ですが)の世界で、隠棲するかつてのヒーローが若く美しい女王を助けるために世界の謎を解く冒険の旅に出る、というヒロイック・ファンタジー的なストーリーです。しかし、そのヒーローは剣士であるより詩人でありたいという内向的なキャラであり、物語の中でも主役らしい華々しい活躍は見せません。物事に展開をもたらすのは裏切り者トリノアを含むメスヴェン団の昔の仲間たちであり、しかも結末である戦争の決着に主人公はまったく関与しないどころか、唐突に表れた無個性な復活者によりすべてが解決されてしまいます。この非英雄譚といってもいい展開は、アンチ・ヒーローによるヒロイック・ファンタジーである<エルリック・サーガ>などのニュー・ヒロイック・ファンタジーを多数書いたマイクル・ムアコックの影響を受けているということのようです。

古いエンターテインメント小説・冒険小説のスタイルを借りて独自の問題意識や美意識を描いたという意味では、サミュエル・R・ディレイニーの作品群との類似性も容易に感じられるところです。ディレイニースペースオペラのスタイルを借りて現代(執筆当時の)問題意識を描き独自の文学的スタイルを築いたとされているのに対し、M・ジョン・ハリスンはヒロイック・ファンタジーのスタイルを借りたというわけです。そこでハリスンが描いたのは、衰退する社会と荒廃する風物(戦後世代の英国作家ですから)ですが、それにもまして作家独自の美意識を強く感じました。

 水没した茂みの中で、小道は激しくうねり、赤褐色の鉄の沼、アルミニウムやマグネシウム酸化物の白味をおびた流砂、酸化銅の青や過マンガン酸の藤色の小池の間をぬけていた。ゆるやかで氷のような小川が流れこみ、銀色の葦と丈の高い黒い草が周りを囲んでいる。ねじれた樹のなめらかな幹は、明るい黄土色と焦げた橙色で、濃密に重なった樹葉を通して、重苦しい色味をおびた光がもれおちていた。樹の根もとには半透明の多面体の結晶の大きな塊が、異邦の茸のように生えていた。
 薄緑の目を持もつ消炭色の蛙の鳴き声を浴びながら、縦列の一行は池と池の間をよろめき歩いた。

これは、主人公クロミスが北の戦場に向かう旅の途中、<金属塩の湿原>を描いた部分の一説ですが、これと同じ描写が収録短編「ラミアとクロミス卿」(1971)にも登場します。『パステル都市」と「ラミアとクロミス卿」には、他にも同じ描写が使われている部分があり、こうした「あえて同じ描写・文章を使う」というやり方は、作者の美意識的こだわりとしか言いようがないように思います。

また、作品集の冒頭に収録された「ヴィリコリウムの騎士」では、主人公の剣士が決闘のいざこざから逃れるために隠れた家のタペストリー(スクリーン?)を見て、自分と似た姿の剣士が登場するさまざまな光景が映し出されることに驚愕する場面があります。映し出された光景はみなテジウス・クロミス卿のさまざまな冒険の場面らしいことが収録策を読み進めるとわかってくるのですが、読み進めて後のほうの収録作品に似た場面が登場してくると、「これは冒頭の作品にあった気がするけど、どこかが違う……」というデジャヴュのような感覚がありました。<ヴィリコニウム>の作品群は、共通の世界設定を用いるものの「未来史」として見られることを作者のハリスンは強く否定したようです。つまり一直線の歴史ではなく、パラレルワールド、マルチヴァース的に様々なクロミス卿(やその他の登場人物が)が似かよった舞台で冒険を繰り返し、作者の美意識が塗り重ねられていく、といったことのようです。

こうした凝ったスタイルのM・ジョン・ハリスンですが、本書の解説によると、かつてのジーン・ウルフ、キース・ロバーツのように「現代日本でもっとも過小評価されている、英語圏の作家」であるとのこと。その評価はさておき、独自の美意識で書かれたダーク・ファンタジー、ニュー・ヒロイック・ファンタジーを好まれる方にはおすすめです。