メディヘン5

時々書く読書感想blog

ナンシー・A・コリンズ<ミッドナイト・ブルー>シリーズ

族長の初夏:ヴァンパイアは皆、哀れな「百代の過客」なのだろうか」を読んで。

とりあえず目下の興味は、吸血鬼もののフィクション全般において不死ゆえの悲哀、彼らへのシンパシーといった物語要素がどのくらい定番的なのかということです。これはこれで、詳しく調べてみたら面白いんじゃなかろうか。

百代の過客としての悲哀ということであれば、トム・クルーズブラッド・ピットの豪華競演で『インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア』として映画化された、アン・ライス夜明けのヴァンパイア』が印象に残っているなぁ……と思ったのだけれど、元記事のリンク先でも言及されておりました。まあ、この作品は、不死への悲哀も不老への悲哀も、両方出てくると言うことで。(不老というか、成長・成熟できないことへの哀しみ、か)

自分のお気に入りのヴァンパイア物と言えば、ナンシー・A・コリンズの<ミッドナイト・ブルー>シリーズ。

ミッドナイト・ブルー (ハヤカワ文庫FT)ゴースト・トラップ (ハヤカワ文庫FT)フォーリング・エンジェル―ミッドナイト・ブルー (ハヤカワ文庫)


むりやり吸血鬼にされた富豪の一人娘(もちろん美形)の「親」吸血鬼への復讐譚、と括れてしまうのだけど、それだけの話に3冊かけるだけあって、読み応えがある。

このシリーズでは、ヒロインのソーニャ・ブルーが実年齢もまだ若いということから、不死は哀しむべき物というより、敵=吸血鬼の滑稽さを表すネタとして使われているみたい。たとえば、長く生きている吸血鬼は装いや言動、考え方も古い、とか。

この作品で不死よりも哀しむべきものとしてクローズアップされているのは、人外の者へと化したことに対する恐怖や疎外感、吸血により生じる抑圧=支配・被支配関係(親子関係)への反発といった要素だろう。

どうもヴァンパイアものと言うと、不死・疎外・抑圧という三要素があって、作品毎・作者毎にその間のバランスが違うのではとも思ったりしたけど、簡単に考えすぎか……

しかし、amazonの書影のオビはうるさ過ぎ。英国幻想文学賞、ブラム・ストーカー賞両賞授賞、というのをアピールしたいのはわかるけど、2巻・3巻はいらないでしょう。せっかく、この表紙が気に入っているのに。

(bk1)(本ブログ・ファンタジー)