アプスレイ・チェリー・ガラード『世界最悪の旅』
チェリー・ガラードという人の名前は、キム・スタンリー・ロビンスンの『南極大陸』(→感想)で知った。仰々しいタイトルは、原題も"The Worst Journey in the World"。
- 作者: アプスレイチェリー・ガラード,Apsley Cherry‐Garrard,加納一郎
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 2002/12/01
- メディア: 文庫
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著者は、悲劇的な結末に終わったスコットの探検隊のメンバー。動物学者の助手という立場での参加だったらしい。スコットの探検隊は、科学的な観測・調査と南極点一番乗りという二つの目的を持っていたため、著者も科学者助手としての仕事だけではなく、補給キャンプ設営や物資輸送などの下働きもこなし、最後には遭難したスコットたちの遺骸の発見にも加わっている。参加時の年齢24歳ということで、いずれにせよ下っ端。
本書は、チェリー・ガラードが、探検の後、第一次世界大戦をはさんだ9年後に、自らの体験にスコットらが遺した日記や第三者の分析結果を加えてスコット探検隊の悲劇の経緯をレポートしたもの。おおむね以下の4パートで構成されている。
- 南極探検の歴史〜第一の夏
- クックによる南氷洋の初航海から書き起こした19世紀の南極探検の歴史とスコット探検隊が南極に至るまでの経緯。
- 冬の行進
- 著者が二人の同僚と行った冬の徒歩旅行の記録。これが、<世界最悪の旅>
- 第二の夏〜第三の夏〜極地への歩み〜帰還行程
- スコットら5名の南極点アタック隊と、その帰還を待っていた著者ら残りの隊員たちの行動。
- 遭難の批判
- スコット遭難の原因の分析と南極探検の意義についてのエッセイ。
印象深いのはなんと言っても、第2パートの「冬の行進」。探検隊の他のメンバーが引きこもって越冬生活を送っている南極の冬のさなか、動物学者ウィルソンとガラード、ボワーズの3名は、拠点から約120Km離れた皇帝ペンギンの営巣地に産卵直後の卵の採集に出かけたのだ。もちろん徒歩。出発時で一人当たり100Kg以上の荷を積んだソリ2台を人力で引いての5週間の旅。
零下50度を下回る気温では、ソリが滑らない(ランナーの下の雪・氷が溶けないので摩擦が減らないらしい)。それを無理矢理引っ張って体温で溶けた雪氷から衣服も寝袋も凍りつく。極めつけは暗闇。冬の南極では日が昇らないわけだが、当時の探検家にはポータブルな電池式ライトなどというものはなく月や星も雲に隠される。そうなると、全てを闇のなかで行うことになる。これでは泣きが入るのも当然で、
今の状態はひと時のくつろぎもなく、ほかのことを考える余裕もない。またいささかの猶予もないのである。わたしは過ぎ去ったことも将来のことも何も考えないのがもっともよいと思った。---ただひたすらにこの瞬間の仕事に生き、それをもっとも効果的にすることを考えようと自分で決めた。
という心境になってしまうわけだ。仕事がひどく辛かったりすると、こういう心境になることもままあるけれども、普通は「一瞬、頭をよぎる」という程度だろう。これが5週間・休み無く・休まる時も無く、というのだから……。この章の結び部分にある下の言葉からも、ガラードがこの旅でどれだけ辛酸をなめたかが想像される。
南極探検は人々が想像するほどひどいことはめったにないものであるし、うわさほどに悪絶であることもまれである。しかしながらこの旅行はわれわれの文章のおよぶところではなかった。いかなることばもその恐ろしさを表現することはできない。
どうしてこんなに大変な探検になってしまったんだろうというところもあるが、スコットの探検隊にせよ、シャクルトンのそれにせよ、どうも準備不足・研究不足のまま、大英帝国の栄光に間違いなし的な思い込みで南極まで突っ走ったようにも思える。特に、この本でもスコットと対比する形で言及されるアムンゼンの行動と比較すると……
一方で、スコット隊でも隊員のモラルは極めて高かったらしく、「冬の行進」でも3人のメンバーは悪戦苦闘しながらも力を合わせ無事当初の目標を達成する。こうしたガンバリは“滅私奉公”やら“モーレツ”といった日本語と重なるところもある。世界に冠たる……という時代・人々にはこういうところで共通するところがあるのだろうか。
こうした点については、アムンゼン自身の南極探検記も買っているので、それを読んでから比較したいところ。