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時々書く読書感想blog

伊藤計劃×円城塔『屍者の帝国』 謎が残るのは私だけ?

屍者の帝国

屍者の帝国

エピローグまで読み終わっての感想は、やはりこれは「伊藤計劃のことを忘れないために」計画だなぁ、ということ。

だって、実質的なあとがきと読めるエピローグ後半や、出版社サイトに掲載された著者・編集者のコメントなど、セットアップが強烈すぎる。結果論だろうけど、円城塔芥川賞受賞により、SFやゲームの世界に閉じていた伊藤の名が一般の目に触れることにもなった。

これで、この作品が日本SF大賞(それも特別賞とか)でもとれば、”正史”にも記録されることになり、完璧だよなぁ。

もちろん、それで何かまずいということはない。私も喜んで、この計画に参加したい。

作品の内容も言うことなしに楽しめました。
魅力的な設定とストーリーの展開はもちろん、楽しかったのは、19世紀の世界をまたにかけて続く主人公たちの旅。陰謀を追っかけつつ世界各地の風物を楽しめるというのが、007映画シリーズの魅力の一つであり、そのあたりをうまく取り込んでいるのも、本作品の魅力の一つでしょう。

ただですね。この作品、仕掛けがハンパないわけです。私の知識やら読解力やらの不足で、どうもわからないところがいくつかあって、それが、いまだに尾を引いている。疑問に思うこと自体が見当違いな、意味のないところに引っかかっているような気もするのだけど、どうも気になる。*1

最初、教養不足の私にはカラマーゾフの兄弟がなぜ登場するのかもわからず、ハテナマークが頭の中を飛び交いました。しかし、これはインターネットという偉大な発明のおかげをもって一応、解決。『カラマーゾフの兄弟』には、約束されつつ書かれなかった第2部がある、と。私の単純な頭脳にとっては、これで十分。伊藤計劃氏の作品に第2部が約束されたものがあるかどうか知りませんが、『屍者の帝国』という作品の書かれた経緯を顧みれば、察しろよ、お前、ということでOK。なるほどなぁ、と。後でカラマーゾフに関する理解が増せば、この照応は、ますます作品からの楽しみを増やしてくれることになるのでしょう。

ところが、よくわからない点がまだまだ、いくつもある。わかれば、きっと「なるほど!」と楽しめるんだろうと思うと、気になって仕方が無い。

以下、そういう疑問点を書いてみます。
(ネタバレになります)

"Noble Savage"ってなんなの?

物語の語り手であるところのフライデーのウォルシンガム登録名称(ユニークネス、とルビが振られる)が、Noble_Savage_007。まあ、007が下敷きになっているんだから、こういうのも出てくるよね。で、ザ・ワンこと、チャールズ・ダーウィンはNobel_Savage_001だと。これは、両者がともに大英帝国の機材として用いられてきた/いるというのが、作中の説明。

まあ、それで話は通じるけど、じゃ、そもそもNobel Savageって何なの?元ネタあるの?、というのが疑問の一つ。

Google様にご見解をうかがうと、Wikipediaの「野蛮」の項内の「高貴な野蛮人 Noble savage」というのが引っかかります。(wikipedia:野蛮)英語モードで検索しても、ぱっと見は似たような結果。で、この「高貴な野蛮人」という概念自体、結構難物っぽい。Wikipediaでは『モヒカン族の最後』なんかに言及があるけど、これ、『ラストサムライ』でしょう? というか、こんな方向に引っ張って行って意味があるのか。

ダーウィンが001で、フライデーが007。じゃ、002〜006はなんなんすか? なんていうのも気になるけど、それは流石に枝葉末節にすぎるかな。

ハダリーって何?

いや、ハダリーが、リラダン『未来のイブ』そして、映画『イノセンス』と関わる女性型人造人間だということはわかりました。

といっても、もちろんこれもインターネットのおかげ。「http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0953.html」を読むと、リラダンっておもしろい人だったんですね。さすが、松岡正剛先生。ためになる。

この物語的には、ハダリーはエジソンに製作された人造人間、謎の機関アララトの尖兵であると。なるほど、007に欠かせない謎の女スパイということでバッチリ。

一方で、作中、ハダリーはリリスであると語られる。人造人間なリリス、それは綾波レイじゃないか。ということで、物語終盤、アダムであるザ・ワン碇ゲンドウ的行動をとることと併せ、(ネット上の感想でよく書かれている通り)話が一気にエヴァンゲリオンっぽくなるわけです。しかし、なぜにエヴァ

この物語は、エヴァと対応することにあまり意味がないように思えるんですよね。で、ハダリーがリリス、というところで悩んでしまいました。ザ・ワンの行動だけなら、その設定から自然な流れかなとも思ったもんで、ますます悩みが深い。

ザ・ワンとNeoって関係あるの?

ザ・ワンと言えば、映画『マトリックス』の主人公Neo。NeoがOneのアナグラムになっている、というヤツですね。

で、ザ・ワンザ・ワンと繰り返されるうちに、これってNeo、つまり『マトリックス』と関係あんのか?というが気になってしまいました。まあ、意識と言語の話とくれば、『マトリックス』に絡んでも不思議は無いだろうと思ったこともあり。

一方で、『マトリックス』 Neo = The Oneというのは、救世主を示す英語表現からとられているということで、救世主つながりで偶然重なっただけ、とも思ったり。

しかし、エピローグの内容からすると、やはり、人が産み出す仮想世界、つまり人の想いの中に生き続けるという結末に対するヒント、あるいは強調として、ザ・ワンという言葉が使われたのかな……と、話がこの文の先頭に戻ってしまいました。

*1:楽しみが長引いているとも言う