メディヘン5

時々書く読書感想blog

ギブスン&スターリング『ディファレンス・エンジン』 シンギュラリティ/サイバーパンク/歴史改変

ディファレンス・エンジン〈上〉 (ハヤカワ文庫SF)ディファレンス・エンジン〈下〉 (ハヤカワ文庫SF)

ウィリアム・ギブスンブルース・スターリング黒丸尚も大好きなのに、 ハードカバーを買い逃して長らく未読だった『ディファレンス・エンジン』。文庫で復刊なんて、こいつはラッキー!

一通り読んでもちろん満足したものの、ネット上での言及を読んで行くと思わぬ切り口がどんどん見つかって、奥が深いというか幅が広いというか。頭の中のまとまりがつかないなりに、ちょっとおもしろく思った三つの切り口についてメモ書きをば。

シンギュラリティと『ディファレンス・エンジン

シンギュラリティーが本当に起こるのかについては賛否両論があり、シンギュラリティー信者の間でも、それがどのような過程を踏んで起こるのか、またコンピューターが人間を超えた後に世界はどうなるのかについては意見が分かれる。

コンピューターが人間を超える日、「シンギュラリティー」は起こるのか~米シリコンバレーで会議開催、インテルやIBMなどが研究内容を紹介

コンピュータの世界でのシンギュラリティというのは、かなり特殊な話題かと思っていたのだけど、上の記事を読んだら、インテルIBM・MITといった大きな組織の人が参加しているようでちょっとビックリ。(まあ、だからと言って特殊な話題ということでは変わりはないか)

超AIの目覚めをシンギュラリティと呼ぶのだという用語の使い方は、2006年に立て続けに紹介された『シンギュラリティ・スカイ』や『ニュートンズ・ウェイク』で知った。こういう言葉の使い方はいつごろからされているのかねと思いつつ、横着してwikipediaにアクセス。wikipedia:技術的特異点によると、上の記事にあるイベントの主催者であるレイ・カーツワイルとヴァーナー・ヴィンジにより提示されたとある。う〜ん、知らんかった。

いずれにせよ、『ディファレンス・エンジン』はシンギュラリティを描いた物語、それも前述の二作ではぼかされている“超越”の過程そのものを描いたお話とも言えるわけで、この作品を思い返しつつ先のwikipediaの項目を読むとまたなかなか。(ユナボマーことセオドア・カジンスキーは特異点に反対するだけでなくネオ・ラッダイト運動をサポートしている、とか)

サイバーパンクと『ディファレンス・エンジン

むかぁし、アニメック誌上での「ガンダムはSFか?」論争というものを読んで以来、あるジャンル(あるいはサブ・ジャンル)の定義はなんだとか、ある作品がそこに属するかどうかという議論にあまり興味を感じられなくなった。

でも、下のページ間の一連のやり取りを見ていたら、扱う作品によっては、おもしろい話題なんだということを再確認。

ディファレンス・エンジン』って、舞台とガジェットだけなら、やはりスチームパンクと呼びたくなるでしょう? 相手によっては『スチームボーイ』を引き合いに出すと説明しやすいとか。でも、テーマとストーリーを考えるとサイバーパンクと位置づけた方が妥当感があって、そのあたりの転回がおもしろい。

ちなみに、『ディファレンス・エンジン』のサイバーパンクとしての捉え方とか、サイバーパンクの定義については、下のページの菊池誠氏の文章が大変、おもしろかった。

歴史改変と『ディファレンス・エンジン

歴史改変テーマというと、英米SFの諸作品よりも佐藤大輔の仮想戦記ものの方が親しく感じられるようになって久しい。

佐藤大輔の仮想戦記というのはいくつかあるのだけれども、いずれも「アメリカが一つの大国のままだったら、多少の変化があっても、20世紀の世界の状況は現実とほとんど変わらない」という認識に特徴があると思っている。

佐藤大輔という人はゲーム・デザイナー出身ということなので、戦争資源に基づく戦力バランスというものを考えるとアメリカの国力というものは圧倒的で、他の国(日本とかドイツとか、はたまた英国とか)が多少の新兵器・新技術を持ち出しても大局的には歴史は大きく変わらないという発想だろう。

つまり、現実と違う現代を描こうと思ったら、アメリカという国家自体のあり方を変化させなければならないというわけだ。

ディファレンス・エンジン』でギブスンとスターリングが同じようなことを考えたかどうかわからない。だけど、ストーリーが(史実ではテキサス州の初代州知事だった)サム・ヒューストンの遭難から始まるのは、アメリカの読者を意識してということだけではないんじゃないだろうか。

もちろん、アメリカの国の形をいじくるにあたって、ヒューストンの事件だけで歴史が変わったという書き方にはまったくなっていなくて、背景に多様な<改変>があるようだし、それは独仏露日といった国々についても同様。とても一読しただけでは、たとえアイリーン・ガンの労作「差分事典」をもってしても、歴史のどこがどう変わったのか概観できない複雑さ。

でも、複雑だからこそ、よく見てみたい、という気分にさせられわけだ。自分の解釈も交えた改変年表を作成されている方もおられて(→リンク)、そういうものを作りたくなる気持ちはよくわかる。

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