メディヘン5

時々書く読書感想blog

椎名誠『パタゴニア―あるいは風とタンポポの物語り』

一時、カミサンが椎名誠のエッセイを何冊も買ってきた時期があって、その頃、酒を飲んだ後に買って帰ったもの。

カミサンが椎名誠を読むようになったのは、『岳物語』を読んで以来。男の兄弟がおらず、男の子はよくわからないと言っていたのだけど、椎名誠の書く父親・息子像に影響された気配がある。でも、それってちょっと迷惑だよなぁ。『岳物語』も一種のファンタジーとしてはおもしろいんだけど。自分では、椎名親子よりも、登場するカヌーイスト・野田知佑氏の人物像が印象に残って、その後、『北極海へ』を読んだりした。

ちなみに我が家で、『岳物語』の次に人気があったのは、『モヤシ』。これは、自分の健康診断で“尿酸値”というヤツが黄信号なったことから。尿酸値が高いということは痛風の気があるということなわけだが、この値を下げるにはとにかく食生活を変えるのが一番。椎名誠もご同様の状況で、『もやし』は尿酸値を下げるための食生活改変(改善とも言いますな)にチャレンジしたした経験談になっている。まあ、食べ物の話というのはただでさえおもしろいわけで、それが椎名誠のような手だれにかかれば……というわけ。

パタゴニア あるいは風とタンポポの物語り (集英社文庫)

パタゴニア あるいは風とタンポポの物語り (集英社文庫)

この『パタゴニア』は、椎名誠が、1983年10月〜12月にテレビのドキュメンタリー撮影のために南米チリの南端、マゼラン海峡パタゴニア地方を訪れた際の経験を描いた紀行エッセイ。中沢正夫氏の解説によれば、当時の椎名誠の紀行エッセイの中では異例の難産で、本書の最初の版が情報センター出版局から出版されたのは1987年5月の三年半後。


80年代当時、日本ではパタゴニアという土地はほとんど知られなかったのではないだろうか?*1 知られざる雄大なスケールの自然を描いたドキュメンタリー番組の方は、国際的な賞を受賞するなどの評価を受けたようだ。椎名誠の文章の方はというと、これはちょっと難しい。日本人には知られていないといっても、チリの人々は暮らしているわけだし、同国の中でも秘境であるマゼラン海峡地帯にせよ、軍隊が駐留*2していたりして、人跡未踏というわけにはいかない。そんなわけで、前世紀の南極探検家や登山家のような、ホントに人跡未踏な地域を歩いて、ここを実際に眼にして文章で表すのは俺が初めてだ、という人の文章と比べると迫力不足というのは否めないと思う。

いきおい、中年男の話としては、酒と食い物と女ということになる。

酒と食べ物の話については椎名誠の上手さはたいしたもので、とにかくうまそう。そりゃ、パタゴニアの牧場で羊の丸焼きバーベキューを食べたらうまいだろうなぁ、オレも食ってみたいよなぁ、とロマンとも食欲ともつかないところが刺激されてしかたがない。

女の話については、この作品は独特。このパタゴニア旅行の時期は、椎名誠が文筆家として独立して数年という時期で、椎名一家が大変な変化を経験していた頃らしい。このため、この作品は、日本出国前、椎名夫人が精神的な不調に見舞われるところから始まり、以後、椎名誠が旅先で夫人を想って煩悶する様が描かれる。本作のサブタイトル「あるいは風とタンポポの物語り」にある“風”は作家自身、“タンポポ”は夫人を表していてまるで惚気のようだが、日本に遺した心掛かりが気になって今ひとつ南米の雄大な自然を楽しめない様子の椎名誠が、海からの風に逆らって揺れるタンポポの原を前にして妻への想いに打たれる終盤には、単なる旅行記に留まらない情念が溢れていて印象的だった。

その後、帰国後、椎名夫妻がどうしたかは本書ではほとんど触れられていない。本書で息子への土産として描かれる手製チャンピオン・ベルトが活躍する『岳物語』へ続く、ということなのだろう。

(bk1)、(本ブログ・エッセー書評・レビュー

*1:ちなみに、Wikipediaによればアウトドア用品のパタゴニア社が出来た(同名に社名変更した)のは1984年。日本支社が出来たのは1988年。

*2:その軍隊の補給にくっついて行くことで取材となっているわけ