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時々書く読書感想blog

栗原景太郎『白鴎号航海記』 感想

1970年刊行の日本人初のヨットによる世界周航記。

昨年、ムスコと神田古本まつりに行った際に購入。@ワンダーの路地裏書棚から拾った。

値段を見ると210円なんだけど、ネットで値段を調べるとお買い得だったのかもしれない。

白鴎号航海記 (1970年)

白鴎号航海記 (1970年)

自分自身は外洋船に乗ったこともなく、船にも海にもトンと縁がないのに、航海記のたぐいが結構好きで、古本屋でも目に付くと買ってしまう。実際の海や航海というものを知らないことから来るエキゾチックな雰囲気と船というメカへのあこがれが原因かな。

そういうわけで、この本も「目に付いたから」なんとなく買ったので、読み始めるまで日本人初のヨットによる世界一周航海の記録とは知らなかった。


「真の蘇生への道」と題された序文はなんと、by 石原慎太郎

この航海日誌は一つの充ち足りた青春の航跡である。
<略>
陸を去り、海に出ることは逃避ではなく、それこそが手応えある追求であり、彼らにとっての真の蘇生の道に他ならない。

この本が出版された1970年当時、石原慎太郎氏は38歳、初当選後の議員3年目。日本人ヨットマンの快挙にふさわしい格調高い序文を贈られている。(まあ、いきなり”蘇生”となっちゃうところで、その後も続く憂国の念がにじみ出てるけど……)



とは言うものの、当時27歳の栗原景太郎青年が世界就航時の航海日誌をもとに書き下ろしたというこの『白鴎号航海記』、けしてこの序文通りの堅苦しいものではない。どちらかというと、今の世でも同じ青春時代の雄叫び、という印象。 20代の若者から見た世界の描写、仲間との笑いといさかい、将来への期待と不安などをごく素直に青春時代の冒険を描いている。


日本人初・世界一周と来れば、さぞ世間の話題になっただろうと想像してしまうが、本書の出だし、世界一周に向けた出航にいたる経緯を読むと、まったくそういうこともなかったようだ。

それはそうかもな、と思う。だって、この航海がなされたのは1969年。19世紀の世の中では無し、すでにさまざまな日本の船が七つの海を行き交っており、白鴎号のクルーも各国の港で貨物船や漁船の船員たちと交流し、助けてもらったことが記されている。(ちなみにWikipediaによると堀江謙一氏の単独太平洋横断が1962年、単独世界一周が1974年)

ただ、個人が自らの力で航海するヨットでの世界一周を当時まだ日本人はやっていなかった。これは海洋国の名折れだろう、だったらオレがやってやる、というのが本書の冒頭部で述べられた世界一周航海を志した理由。



で、続いて航海準備編。冒険記ではありがちだけど、とにかく最初は金策の話。栗原青年は神戸商船大学航海学科を卒業したあと川崎汽船に就職してプロの航海者の道を歩み始めたところで、航海自体については自信はあるものの、若者らしく金は無い。当初、他に2名の仲間とともに金策を含めた準備を始めたが、ほどなく1名が離脱。途方にくれていた彼の前に新たな仲間が現れるが、それがなんと女性。結局、キャプテンの栗原氏、機関科出身の武田治郎氏、南極探検で有名な白瀬矗の一族に連なる白瀬京子さんの3名で世界一周の航海を始めることになる。


クルーが男性2名、女性1名の男女混合だったというのが、この世界一周航海でなんとも不思議なところ。いや、何かまずいというわけでもないんだけど、男女混合の冒険って小説ならともかく現実ではあんまり聞かないような……不思議に思う自分の感覚が古いのかな……。栗原・武田27歳に対し、白瀬34歳。また、青年二人が神戸商船大卒のそのスジのヒトであるのに、白瀬さんはまったくのアマチュアで、この航海の前に知り合いだったわけでもなかったらしい。これだけ違いがあるのに、若者二人とともに海に飛び出した白瀬京子さんという人が何を思い、何を感じたのかも大変気になる。彼女から見た世界一周航海記もあればせひ読みたいところだけど、残念ながら、そうした本は遺されずに亡くなられたようだ。



航海そのものの記録は、おおむね3つのパートに別れる。日本から西廻りに航海を始めて各地の港を経由して南米南端のマゼラン海峡に至るまでが前半、マゼラン海峡通過、そして南米を離れた後は無寄港で太平洋を渡って日本に帰る後半という構成。前半と後半は特に大きなアクシデントや事件も無く、安定した航海と目標達成を目指す栗原キャプテンの心配事は多々綴られるものの、リアルではあるがある意味淡々とした日々の航海の模様が続く。

本書のクライマックスは、マゼラン海峡通過の部分。難所として知られる海峡だけに、航海の前半の記載でもたびたびその困難さの予想が書かれ読者としてもドキドキしてくるのだが、実際の通過は予想を越えたハードな航海。暴風に襲われ二進も三進も行かないわ、イカリが流されてしまうは、暴風の中で停泊して世を明かさねばならなくなるはで、よくも無事に越えられたもんだと感じてしまう。

読み通して見ると、痛快!日本男児七つの海へ!(七つじゃないけど)という雰囲気の若者らしい気概と、最大の難所マゼラン海峡通過を始めとした航海の不安や仲間への気遣いという繊細さが入り混じった、当事者にしか書けないリアリティのある冒険記だった。 

「白鴎号」関連リンク

キャプテンにして著者である栗原景太郎氏のHP。白鴎号の航路図や写真があります。

時事通信社Webサイト。世界一周からの帰国後、1970年08月22日に撮影された白鴎号上の栗原キャプテンと白瀬京子さんの姿。

マゼラン海峡関連リンク

日本の衛星ALOS(だいち)撮影によるマゼラン海峡衛星写真

月刊「舵」に掲載されたヨット青海号の航海記のマゼラン海峡編。恐ろしい荒海、荒涼とした大地などの貴重な写真を交えたマゼラン海峡航海記。

なんと、原子力空母でもマゼラン海峡を通過。
原子力動力船舶として初めてマゼラン海峡を通過した米海軍空母USS ロナルド・レーガンの写真。なんだか海峡がすごく狭い感じなんですけど……。こちらには、この通過の模様を書いたUSS ロナルド・レーガン艦長のメールが載せされています。


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